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夢は、いつから“特権”になったのか?──努力できる子と、できない子のあいだにあるもの

 
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芹澤 宏治(せりざわ こうじ)
前職では、ストレッチのパーソナルトレーナーとして10年間でのべ30000人以上の指導を経験。 ヨガに出会い、ストレッチだけでは改善しなかった身体の硬さを解決する方法(身体の使い方)に気付き、ヨガインストラクターとなる。 身体の硬い人の為のヨガインストラクターとして、のべ10000以上のパーソナルレッスンを経験。 身体の硬い人だけでなく、ヨガインストラクターやプロのダンサー、プロボクサーなどへの指導も行っている。 メディアやセミナーなどスタジオ外での活動も通じて、解剖学に基づく理論と身体感覚の両面から身体の使い方を伝える活動をしている。 著書の「夢の360°開脚を叶える本」は発行部数6万部を越える人気となった。

「努力すれば夢は叶う」──そう信じてきた。 でも、本当にそれだけで足りるのだろうか?

“努力できること”そのものが、じつは恵まれた環境の証かもしれない。

夢、努力、ヨガ、子育て。 すべての「がんばり」の裏側にある“土壌”について、今日はお話しします。

 

あの頃、夢はもっと身近だった

あの頃の僕たちは、ただ「好きだから」で走れていた。 「うまくなりたい」も、「続けたい」も、ぜんぶ夢の中に含まれていた。 夢って、いつから“努力だけじゃ届かないもの”になったんだろう?

 

夢の入口に立てない子どもたち

「来年から入る中学校、サッカー部がないんです。」

レッスンの後、生徒さんがふと話してくれた。 お孫さんがサッカーを続けたいが、クラブチームを見つけなければならないという。 サッカーが大好き。でも、その“好き”を続けるには、まず環境を見つけなければならない。

昔なら、「部活に入ればいい」で済んでいたことが、今では「入れる場所があるか」「続けられるか」「家計は大丈夫か」と、 “選ばれた家庭”しか通れない関門が増えている。

夢を追いたい──ただそれだけの願いすら、今は簡単ではなくなっている。

 

格差が忍び寄る場所

部活は、かつてすべての子どもに開かれていた。 ボールひとつ、ラケット一本あれば、誰でも同じグラウンドに立てた。 でも今では、クラブチームに入るにはオーディションがあり、受からなければスタートラインにも立てない。 さらに月謝、年会費、遠征費、用具代、親の送迎や当番。 気がつけば、夢のスタートラインにすら、料金表が貼られている時代になっていた。

夢を見られる子どもたちと、夢に届かない子どもたち。 努力する前に、まず条件がある。 ──これは、本当に「進化」だと言えるだろうか?

 

昭和と平成の狭間にあったもの

僕は昭和52年生まれ。スポ根の時代よりは少し後だ。 とはいえ、それでも高校時代の少林寺拳法部では「水を飲むな」が当たり前だった。 フラフラになりながら、トイレに行くふりをしてこっそり給水所に駆け込んだこともある。

大学でも少林寺拳法を続けたが、より一層厳しいバリバリの体育会。 終わらないダッシュの途中で吐いて、吐き終えたらそのまま次のダッシュに加わる。 それが普通の練習だった。

残念ながら、僕には特別な才能はなかった。 でも、厳しい練習を通して「やり切った実感」が残った。

同期たちと話すと、決まってこう言う。 「社会人になってからのしんどさも、部活の頃に比べたらマシだと思えた」

良いか悪いかはわからない。でも、 あの頃に培った「やり切る感覚」は、確かに今も僕の中に残っている。

 

SNS時代の“好きを続ける余白”

令和になって本当に便利になった。 SNSで情報がすぐ手に入る。誰でも発信できる。

でもその一方で、「どう見せるか」が先に立つ。 本来の“好き”が、本質が、後ろに追いやられてしまう。

ヨガも例外ではない。

インスタで映えるポーズばかりが評価され、 「心地よさ」や「向き合う時間」は二の次になってしまう。

できる・できないばかりが注目され、 本来は“整える場所”だったヨガが、比べる場所になってしまった。

 

見た目で“スタートすら切れない”ことがある

ヨガ好きが高じて、インストラクターになりたいと思った時。 スタジオで働くには、体型・年齢・見た目などが評価の対象になる。

努力をする前に、外見だけで足切りされる世界がある。

もちろん、ビジネスだから仕方ない面もある。 でも──昔はもっと、「教えの深さ」や「身体の変化」も大事にされていた気がする。

 

努力は「できること」自体が才能かもしれない

「努力すれば夢は叶う」

その言葉に、僕はずっと引っかかりを感じていた。

教育心理学の安藤寿康教授はこう語っている。 「“努力すれば夢が叶う”というのは正しい。 でも、“努力できる条件”があるかを無視してはいけない」

僕はこの言葉に深く頷いた。

家庭環境、経済力、声をかけてくれる誰か。

そうした“支えられやすさ”もまた、 「努力できる才能」と呼べるのではないか。

僕は、それを「土壌」と呼びたい。

朝ごはんを作ってくれる人がいること。 失敗しても「大丈夫」と言ってくれる人がいること。

それがあるだけで、人は前を向けることがある。

 

やり切った実感が、今の子育てを支えてくれている

僕自身、高校では不完全燃焼だった。 でも、悔しくて、大学で続けた。

やり切った。悔いはないと思えた。 その感覚が、今の自分を支えてくれている。

40歳を過ぎて子どもをさずかった。 夢をやり切ったあとだったからこそ、 子どもにまっすぐ向き合えている。

この子には、スタートラインに立たせてあげたい。 夢でも、勉強でも、趣味でも。

好きなことに挑戦できる「環境」を用意してあげたい。

 

「戻る場所」は、まだ残せる

基本的に、人が最後に安心できる場所は“家族”だと思う。

でも現代では、それすら希薄になってきている。 親がいない、相談相手がいない、 一人で努力して、一人で傷つく子どもたちがいる。

家庭があっても、経済的な不安がそれを揺らすこともある。

だからこそ、社会が「戻れる場所」を守る必要がある。

僕は、せめて生徒さんにとっての「戻れる場所」でありたい。

誰かと比べなくてもいい。 焦らなくてもいい。

ただの“あなた”でいられる時間と空間を守っていたい。

「先生、長生きしてね。私、ずっと来たいから」

75歳の生徒さんにそう言われたとき、 僕は、誇らしい気持ちになった。

 

結びに──

夢も、身体も、人生も。

戻る場所がある限り、何度でも立ち上がれる。 努力するチャンスがある場所だ。

ヨガの世界にあっても──

50近いおじさんが、見栄えより“心地よさ”を選んで、 今日も“戻る場所”としてマットに立っている。

それが仕事として成り立っていること自体、ひとつの希望だと思う。


夢が、“特権”ではなく、 すべての人に開かれた“感情”でありますように。

 

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芹澤 宏治(せりざわ こうじ)
前職では、ストレッチのパーソナルトレーナーとして10年間でのべ30000人以上の指導を経験。 ヨガに出会い、ストレッチだけでは改善しなかった身体の硬さを解決する方法(身体の使い方)に気付き、ヨガインストラクターとなる。 身体の硬い人の為のヨガインストラクターとして、のべ10000以上のパーソナルレッスンを経験。 身体の硬い人だけでなく、ヨガインストラクターやプロのダンサー、プロボクサーなどへの指導も行っている。 メディアやセミナーなどスタジオ外での活動も通じて、解剖学に基づく理論と身体感覚の両面から身体の使い方を伝える活動をしている。 著書の「夢の360°開脚を叶える本」は発行部数6万部を越える人気となった。

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